PickUP  [ 民間News ]

50年経てプレハブが伝統へ/セキスイハウスA型が有形文化財

 積水ハウスは8月28日、昨年8月にプレハブ住宅として初めて有形文化財に登録された「山崎家及び臼井家別荘」(軽井沢町)の保存と公開の手はずが整ったことを受け、見学会と記念講演を行った。同宅は同社が1963年に建てた「セキスイハウスA型」で、今も別荘として使われている。記念講演で登壇した東京大学の村松秀一教授は、登録は「工業化住宅」「プレハブ住宅」が伝統として認知されたことを示すとし「戦後の住宅が文化財になった意義は非常に大きい」と評価した。

 「工業化された住宅の国産第一号が文化財になり、使われて残っているのはすごいことだ」。「山崎家及び臼井家別荘」の見学会で、村松教授は参加者全員にそう言った。
 「セキスイハウスA型」は、国立科学博物館産業技術史資料情報センター産業技術史資料データベースによれば「玄関・居間・台所・浴室・便所を備えた本格的住居として開発、発売された工業化住宅の国産第一号」だ。
 見学会の当日、村松教授と同じく記念講演の壇上に登った工学院大学客員研究員の二村悟氏は「セキスイハウスA型」について「『工学科住宅の国産第一号』と一言でいえることは非常に特徴的」だと文化的な位置づけを評した。同型の1年前に大和ハウスが軽量鉄骨造の「ミュゼットハウス」を出しているが、これは住宅ではなかった。現パナホームの「松下1号」が出たのは「セキスイハウスA型」の1年後だ。

■「木」から「鉄」への転換

 構法は軽量鉄骨の骨組みに、壁・屋根はにアルミサンドイッチパネル。主な素材は、「木」から「鉄」へと転換された。村松教授によれば、当時のハウスメーカーはとって「火事の危険のある木の利用はあり得なかった」からだという。
 なにより工業化を象徴するのが「プレハブ」だ。
 「戦後、焦土と化した日本の住宅不足解消という社会の要求に、技術的に応じる形で日本の住宅の工業化は進展した。プレファブリケーション(プレハブ)技術はその代表」だと村松教授。「著名な建築家が設計する住宅であっても、多かれ少なかれこの技術の恩恵を受けている」と言葉を続ける。
 村松教授によれば、1963年から73年の10年間で、日本の住宅は68万戸から190万戸に増加。そのうち、プレハブ住宅はまったく存在しない0%から、7・3%へと急激に増えたという。村松教授はこの10年を「今の建築の形を決定づけた10年間」だと説明する。
 だからこそ、63年に建てられた同宅は、そんな日本の住宅史において「非常に貴重」(村松教授)だ。「前しか向いていなかったプレハブ住宅という業界が、50年を経て伝統になったということ」と村松教授はいう。


■戦後の住宅黎明期を伝える

 村松教授によれば「山崎家及び臼井家別荘」は、住宅工業化の黎明期の挑戦を今に伝えるものだという。住宅専門ではなかった業種から参入し、ゼロからのスタート。だからこそ、時に「住宅」にとらわれず、時には「アメリカのプラスティックハウスやカマボコ兵舎からもインスピレーションを得たのではないかと推測される」(村松教授)姿をつくり上げた。
 「世界でプレハブ住宅がここまで成功した国はない。その第一号が、ほぼ当時と変わらず、家として使われ続けたまま残っていることが、どれほどすごいことか。ぜひちゃんと伝えてほしい」[新建新聞9月5日号抜粋]

※新建新聞の媒体紹介・お申込み等の詳細は「詳しくはこちら」から


前へ戻る

広告バナー