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故・宮本忠長氏お別れの会  約1000人が死を悼み参集

 去る2月25日89歳で死去した故・宮本忠長氏(宮本忠長建築設計事務所代表取締役会長)の「お別れの会」と「偲ぶ会」が3月29日、長野市県町のホテル国際21で同事務所と宮本家の「合同葬」として開かれ、県内外から約1000人が弔問に訪れ長野県出身の建築家の死を悼んだ。

 会場には阿部守一県知事をはじめ地元選出国会議員や県議会議員、加藤久雄長野市長など県内首長などのほか、全国的に活躍する建築家の伊東豊男氏の姿もあった。

 「お別れの会」のあいさつで阿部知事は、長野県出身で長野を基盤としながら全国で活躍した建築家としての同氏を称え、小坂憲次参議院議員は長野市柳原にある茅葺きの古い自宅を修繕再生監理してもらっていた関係から「近くに来たので寄ってみました」と突然やってきて土間に立っていた姿が目に焼きついていると、宮本氏の人柄を偲ばせるエピソードを紹介していた。

 約150人が参加した「偲ぶ会」の実行委員長を務めた市村次夫小布施堂社長は、31年前に宮本氏の長女が亡くなったがその長男で孫にあたる宮本夏樹氏が常務として跡を継ぐ道筋がついたと安堵。実弟で代表取締役所長の宮本仁夫氏は昨年末に病床にありながら設計図をチェックするなど、生涯現役を貫いた氏の姿を紹介。夏樹氏も79歳に脳梗塞で倒れた後も1人で東京長野を行き来するほど回復していたとの話もした。

 偲ぶ会には早大理工学部時代の同級生60人のうちの1人も参加。偉大な人がまた1人亡くなっていくと寂しさを隠さなかった。

 宮本氏は北九州市立松本清張記念館の設計など全国各地の博物館などの設計を手がけてきたため全国各地から届いた弔電の数も150通を超えていた。

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